自意識、自己の監獄

 

 「われ思う、故にわれあり」この世で唯一確かな存在は自意識だけである。

そのために我々は自己を客観視することが本質的に不可能である。

この自己の客観視とは、自意識の主体を我々が生きる三次元空間ではなく、別次元から自己を視ることで達成される。

 

なぜなら、自意識を何等かの手法で、他者に移転させても、その他者が自己になり、以前の自己は他者になるだけであるが、次元を変えればその問題は解決するからである。

 

4次元空間がどういったものなのか、想像不可能だが(三次元空間に住んでいる我々は4次元空間の直感的理解は不可能である)、だからこそ次元が違うことで、自己と他者の境界が変わるのではないのかと淡い期待を抱いている。

 

自分は今も、自己に囚われた状況である。

肉体と離れられず、洞窟中の朧げな投射画像を見ている。いつか、洞窟が抜け出すことは私の夢である。

からしい世界ではなく、この世界をこの手で確かめて確かなものにしたい。