なぜ我々は日本を変えられるのか(北条君の考え)

 

我々は日本を変える、国家変革により、国難を打破し、日本を復活に導く。
なぜ可能か?
だれでも思い浮かぶ疑問である。
まず、前提として少数の人間、集団が世界史を動かした、国家の命運を変えたのは事実である。
たとえば、古代マケドニアアレクサンドロス大王、ローマのカエサル、フランスのナポレオン、トルコのムスタファ・ケマル・アタテュルクシンガポールのリ・クアンユー等であり、日本は明治維新の勤王の志士達である。

よってこの疑問は「何故我々が、彼らと同じことができるか?」となる。

まず、下記の文章は北条君が書いたものだが、我々が行うことが端的に書いてある。
「非常に当たり前のことすぎて、某環境大臣の台詞のようで恐縮だが、案外忘れがちな事実として、「一群の人々が作り出す全てのものは、その作り出した一群の人々が作ったものである」、ということがある。この事実は非常に重要で、つまり人が何かを為さなければならないと思った時に重要な事実は、「その為さなければならない物事の程度に応じた能力・規模の一群の人間を志の下に集め、形態はともかく組織とする」ことである。逆に言えば「為すべきことを為す・実現する」ための必要十分条件は「目的に応じた能力・規模の充分に担保された組織」と「その求心力を担保する志(イデオロギー)」だけであって、この二つさえ揃えば、この世にできないことなど何も無いのである。」


しかし「目的に応じた能力・規模の充分に担保された組織」と「その求心力を担保する志(イデオロギー)」を創りだすことが何故我々にできるのか?という疑問で、それに対する合理的な答えを持って始めたわけではない。

我々の行動が必要とされているから、必要とされる必然性があるから、日本を変えるために行動しているのである。

論理性の彼岸に天命があり、行動の後に可能性があるのである。