燃えるアート展 の感想(瞭君)

自分で自分が主催したイベントの感想を書くと客観性が少々薄れてしまうので、コンセプト導出時の最初期に相談した瞭君の感想をここに出そうと思う。

 

「暴力的な破裂音。ちょっと今までの人生では聞いたことがないような、明らかに異様なその音に唖然としていると、少しだけ遅れて目の前から火の手が上がった。かつては鉱山だったらしき雄大な岩山をバックに、ちょっとした雑居ビルくらいの高さはあろうかという巨大過ぎる炎。狂喜する主催者が撮影を急かす声が遠くから聞こえる。あまりの非現実感に、気がつくと私は爆笑していた。

 

この燃えるアート展の主催者の二人は最近知り合った友人だった。初対面の私に、燃えるアート展の構想を熱く語る田代君のことはよく覚えている。NFTという新技術の特徴である偽造不可能性・唯一無二性に着目し、アート領域との接続を考え、本展示を企画したという。その計画というのが、アート作品を集め、それらをデジタル化してそのNFTを発行し、オークションにて販売。元となったアート作品は爆破して燃やしてしまえば、NFTこそがその作品を保証する唯一無二の存在となり価値がつくはず…といったものであった。

異様な熱量でその荒唐無稽な計画を語る彼に、私は「こいつはやばいやつなんじゃないか」と素直に思った。発想は面白いけど無茶すぎる、お金はどうするの、作品はどう集めるの…、明らかにツッコミどころが満載、つまりは難所が満載の計画であった。しかし、訝しげに眺める私をよそに、彼らは気がつくとものの2ヶ月ほどで100点もの展示品を集め、それらのデジタル化の手筈を整え、栃木の山奥に爆発場所を確保していた。それも、本イベントのために二人合わせて100万以上の借金を学生の身で背負う覚悟を悠々と決めながら!

その呆れるほどに熱い猪突猛進さに、私は打ちのめされた。同世代として、憧憬の念を禁じ得ない。大望を語るだけの学生は星の数ほどいる。しかしその中で、このような大法螺を本当に形にしてみせる「本物」はそうは多くない。良くも悪くも、惹きつけられるのは確かだ。実際イベント当日の爆破会場には、彼らが直接に呼んだ関係者のみならず、「なんだかよくわからないが面白そう」と噂を聞き付けた老若男女がわらわらと集まり、カメラマンとして呼んだはずの人物もいつの間にか設営を手伝っていた。馬鹿な話だとも思うのに、目が離せない。気が付いたらつい手伝ってしまっている。かくいう私もその一人だ。

ひょっとして、大望を成すのはこういう人物なのかもしれない。そう思わせるだけの何かはある二人である。今回のNFTアートに似ているといえば似ているかもしれない。コンセプトは秀逸、ひょっとしてひょっとすると開催したこと自体が歴史的価値を帯びるかもしれない、だが今のところはまだ何ものでもないものたち。ひたすらに熱く燃えていることだけが確かな、若さの爆発。

彼らに一口乗ってみるのも良いかもしれない。そんな気がして、ついつい件のNFTを販売しているサイトを覗いてしまう私は、既に彼らに魅せられているのだろう。」



瞭君とは僕のTwitterをフォローしてくれたので、僕がDMをおくって直接会った人物である。瞭君はトップ層の東大生であるだけでなく(僕自身は東大の平均も上位も下位も分らないが北条君によるとそうらしいし体感でもそうである)、知的で知識も豊富な人物である。

 

一般庶民にはない力と自由があり、さらに色々兼ね備えているので、是非、政治家になってもらいたいと思う、貴族にはノブレス・オブリージュの義務がある(本人は未だそうは思っていないようだが、その内、行動を起こすと予測している)